2006.10.11(水)
無題
12回の表までテレビで見てました。
「ヒサノリ何とか抑えろ!」そう願いながら。。。
12回の裏はテレビを消し、布団にもぐりました。
試合の結果は知りませんがこの情報化社会、
そのうち風の便りが届くでしょう。
布団にもぐりながらも、ため息ばかりがで出て寝付けません。
今シーズンに限らず、いろんなタイガースとの思い出が溢れ出てきました。
この気持ちを書こうと思い、布団から抜け出し、現在書いているところです。
小学校3〜5年生の時、バース・掛布・岡田を擁し優勝した頃、
両親に連れて行ってもらった甲子園球場。
夜9時を過ぎる様な試合では、さすがに眠くイエローシートで寝てしまい。
後ろの知らんおっちゃんに
「起きんかい!」言うて怒られた事もあった1985年。
その後両親の故郷である石川県に引越して、
高校生の頃に新亀フィーバーが到来。
子供の頃によくわからなかった野球も、この頃には分かる様になり、
タイガースにのめり込んで行きました。
ここで、オレは高校卒業後は大阪に行く事を決め、
西宮市に社員寮がある事を理由にとある会社への就職を決めました。
その会社がどんな会社なのか?
何を作って何を売っている会社なのか?よく知りませんでした。
春先、1人で田舎から出てきた1995年。
しかし、その頃は暗黒時代のまっただ中。
数回、甲子園に行くものの、面白さを得られませんでした。
92番を背負った、ひょろひょろに細い藤川という投手が出てきては、
3回途中で炎上し降板していました。
和田、八木、石嶺、新庄。なんだかニュースで聞いた事がある選手が出てきて
ヒットを打てば喜んでメガホンを叩いていました。
大阪に住み、大阪で生活をし、大阪で出会った女性と結婚しました。
現在生活を共にする妻です。
星野監督が就任し、井川という待望のエースが登場し、
巨人相手にバッサバッサと三振を奪っていた頃、妻の妊娠がわかりました。
現在最高の宝である我が娘、萌々です。
今思えば、タイガースに出会っていなかったら、
今の妻と結婚しておらず、萌々も居なかったのかなぁ、そうも思います。
妊娠6ヶ月の頃、18年ぶりに優勝。
部屋でTVの前で泣き崩れ、
めしも喉を通らなくなってしまった2003年9月15日の夜。
翌朝の通勤電車の中で、スポーツ新聞を見ながらも泣き、
周りの乗客からも不審に思われながらもなんとか通勤。
その日、運悪く朝礼登板だったオレは、
「この会社に就職して初めて良かったと思いました。」などと言い、
「今日は勘弁して下さい。」と謝った2003年9月16日の朝。
あれこれ溢れ返って整理が出来ず、タイトルも決められず「無題」。
しかし、タイガースはやっぱりオレの人生そのものだということがわかった。
今から思えば無謀な理由で決めた会社も、辞めずに現在まで勤めている。
タイガースのお陰で今の家族が有り、今の生活が有る。
ありがとう!阪神タイガース!!
前日にはこんな事を書いたものの、いざ今日事実を受け止めた時、
予想以上にショックで、自分が12日にどんな思いで甲子園に行くのか、
甲子園のライスタに立って何を思うか、分からなくなっていました。
でも、今シーズンも恐らく昨年以上に
最後の最後まで楽しいシーズンにしてくれたタイガースに
オレの人生を楽しくしてくれたタイガースに
感謝の気持ちを込めて大きな声で「ありがとう」と言えば良いんだ。
やっと、気持ちの整理がつきました(長かった。)
12日、甲子園球場最後の試合、「ありがとう」をたくさん言ってきます。
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